昨日、木村拓哉が主演の「武士の一分」と、角田光代作の「八日目の蝉」のDVDを見ていました。どちらも、素晴らしい内容でした。
ハリウッド映画も好きですが、僕は、日本映画も好きです。仕事が煮詰まった時、気分転換したいときは、DVDを楽しみます。
武士の一分の話を簡単に説明しますね。
下級武士の三村新之丞(木村拓哉)は、藩主の毒見役を務めています。
妻の加世(檀れい)と幸せに暮らしていましたが、ある日、毒見の際に食べた貝の毒に当り、失明してしまいます。
城にも通えなくなり、暮らしが徐々に立ち行かなくなる中、それを見越した有力者の島田(坂東三津五郎)は、かねてから狙っていた加世に近づいていきます。
殿様に恩情をもらうためだと言って、加世との関係を迫る上司。
卑劣な上司から、愛する家族に、ひどい仕打ちを受けた新之丞が、まったく勝ち目のない戦いに挑む悲壮なる復讐劇だ。盲目の主人公が剣の達人と果し合いをします。
八日目の蝉もとてもおもしろいです。
秋山丈博の愛人であった野々宮希和子は秋山宅に侵入していた。
眠っていた赤ん坊(秋山恵理菜)を一目見るためだったが、赤ん坊が笑いかけたのを見て衝動的に誘拐する。
希和子は「薫」と名づけた赤ん坊とともに逃亡を始める。
八日目の蝉は、二部構成になっています。
いつかは捕まり、「娘」とも引き裂かれる運命にあることを覚悟しながら生き続ける野々宮希和子と、希和子に4歳まで育てられ、愛情を受けて育った親は、誘拐犯であり、育ての親を憎み続ける肉親に、4歳から育てられることとなった、恵理菜(薫)の生活と心の動きをドキュメンタリー風に描写しています。
武士の一分と、八日目の蝉の共通点は何でしょうか。
「武士の一分」も「八日目の蝉」もどちらも、ハッピーエンドで終わりますが、ハッピーエンドは、日常の何気ない生活に戻ることなのです。
大金持ちになる、とかスーパーヒーローになるのではなく、ごく普通の、日常生活に戻るわけです。そこで、普段の何気ない生活がいかにありがたいものだったのかということに、気づかされます。
この頃の映画は、ハッピーエンドが日常生活に戻る、というものが多くなってきたように思います。
普段の何気ない生活が、いかにありがたいものなのか、平凡な暮らしの中に、美しい宝石が、ちりばめられていたことを思い出すのです。
三村新之丞は、殿様の毒見役でした。今は、そのような職業は、存在しません。
新之丞は失明して、暮らしも立ちいかなくなったときに、殿様の恩情で、わずかながらの家禄をもらい、何とか生活できることに、感謝をするわけです。現在だったら、ありえません。
野々宮希和子も、いつかは捕まると思いながらも、「娘」との束の間の生活に幸せを感じ、恵理菜も、誘拐犯でもあり、育ての母でもある希和子や、肉親の秋山 奈津子に運命を翻弄されながらも、最後に、親の愛を悟ることで、感謝の涙を流します。
TOEICで、もがいているあなたは幸せです。
僕も何度か転職や起業をしましたが、今月は生活できるのか、、というところまで行ったことも何度かありました。
当然、そんなときは、TOEICどころではありません。日々の暮らしをどう繋いでいくかに大きな関心が寄せられます。
月日が経ち、様々な人に助けられながら、生活もようやく落ち着いてきて、TOEICや英語の勉強をするようになりました。
TOEICの勉強をしながら、私たちはこう思うわけです。「確かに、今、TOEICのために多くの時間を費やしている。私たちは、TOEICの学習をできるくらいの余裕ができたんだな、、、。」と。
大変なことも多いかもしれないけど、大変なことができる余裕が、あなたの中にある、というのもまた、事実。
TOEICで疲れているあなた、点数を取ろうともがいているあなた。実は、幸せなんですよ。と僕は思います。