日本語・英語・北京語・韓国語・フランス語を操ることで有名な
GACKTさん。
そんな彼が今回
なんと!ラジオで特別にドイツに留学中の女の子に
語学学習方法についてアドバイスをしていました!
[Read more…] about GACKT流~5ヶ国語を覚えたコツと留学中のファンにラジオでアドバイス
ライターはみんな現役の英語教師。英語、英会話、TOEICの勉強法をお届けする日本最大級のキュレーションメディアです。TOEIC800以上の日本人、外国人がライターとなってこのHPのコンテンツを作成しています。
by 石崎力也
日本語・英語・北京語・韓国語・フランス語を操ることで有名な
GACKTさん。
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なんと!ラジオで特別にドイツに留学中の女の子に
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by 石崎力也
若手俳優No1と言えばこの人、森山未來さん。彼の演技は洗練されていて、完璧にその役になりきります。その姿は演じているとは思えないほどリアル。セカチューとかモテキなどの素朴な青少年系キャラが似合う森山さんですが、私生活では酒好きの暴れん坊。暴れん坊は言い過ぎですが、酒の失敗談は数知れず。普段は関西弁を話すというところも意外ですし、ダンスがうまいというのも意外でした。幼い頃通っていたダンス教室は別の場所らしいですが、現在母親が地元神戸でダンススタジオ「モダンミリイ」を経営しているそうです。ミュージカルなどで歌わせれば俳優のレベルを遥かに超えていると絶賛されますし、賞の数もあげればキリがありません。そんな非の打ち所がない俳優、森山未來のあれこれを紹介していきます。
森山未來さんは1984年8月20日生まれの現在29歳です。兵庫県神戸市灘区出身の俳優であり、ダンサー。松田優作事務所(オフィス作)に所属。高校卒業までは地元の神戸におり、10歳の時には阪神・淡路大震災を経験している。初舞台は11歳の時。ただし、正式にデビューしたのは15歳の時、演出家の宮本亜門さん率いる舞台『BOYS TIME』であるとしている。ダンス歴は長く、5歳からジャズダンス、6歳からタップダンス、8歳からクラシックバレエとヒップホップを始める。16歳の時に単発ドラマ『TEAM 2』でドラマ初出演、『さよなら、小津先生』で連続ドラマ初出演。一躍有名になったのは映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の出演がキッカケ。主人公・松本朔太郎(サク)の高校生時代を演じ、ブルーリボン賞の新人賞、および日本アカデミー賞の優秀助演男優賞、新人俳優賞を受賞した。この時共演したヒロインの長澤まさみとは8年後の映画『モテキ』で再び共演している。純愛映画とは到底言えないリアリティのある生々しいシーンが多く、かつての二人のイメージが良い意味で崩壊した作品となった。森山本人も「あの二人に8年間でなにがあった?」と笑いながら語っていた。話はとんだが、森山は2010年に一般女性と入籍している。そして同年10月に第一子の誕生発表(性別名前は非公表)。『北のカナリアたち』『苦役列車』での受賞歴が凄まじく、名実共に若手俳優No1だと方々からいわれている。そのため、2013年10月から文化庁より海外派遣型文化交流使に任命されており、2014年9月までの1年間、ベルギーとイスラエルに滞在し、現地の劇団やダンスカンパニーなどを拠点に演劇の共同制作や公演などの活動を行う。文化交流使として海外に留学している間は俳優業を休止する形となる。
森山未來は「1歳のとき、いつも柵の中に入れられていたらしいんですよ」。
「目のまえに窓ガラスがあるのに正面からぶちあたって割っちゃったりする子どもだったそうです。両親が出かけて、姉と2人で留守番をしていたときに、姉が目を離したすきに家の柵を飛び越えて散歩にでかけ、何キロも先で保護されたこともあった。とにかく、じっとしていられない子でした」
そんな息子の日用品破壊工作を横目に両親はその発散方法としてダンスを選んだ。5歳から始めたダンス。週1回だったダンス教室に小学校に入学する頃は毎日通うようになったとか。だから森山には友人の家で漫画を読んだり、球技をした覚えがないという。中学に入ってもそれは変わらず、15歳の時、演出家の宮本亜門率いる舞台『BOYS TIME』で正式にデビューした森山未來。この舞台のオーディションの条件は18歳以上。当時15歳だった森山は現場ではおとなしい子だったそうですが、せっかく来てくれたからとなんとかオーディションを受けさせてもらえることに。そして踊り出した森山を見て宮本は絶句。ニューヨークで仕込まれたのか!?と思うくらいの才能と実力の持ち主だったようで、その後宮本が是非東京に来てくれと誘ったそうです。当時の宮本亜門はこう語ります。
「どんなダンスもこなしてしまう恐るべき15歳」「フレッド・アステア以来の天才かと思った」。
また、この作品で同じく舞台デビューを果たしたのが佐藤隆太であり、2008年には佐藤の初主演連続ドラマ『ROOKIES』に友情出演している。そして上京してきた森山はなぜかホテルなどではなく、旅館に暮らすようになる。というのも、まだ中学3年生だった森山を親が心配し、人がいる旅館生活を勧めたそうです。そのまま東京に残ることはせず、高校は地元・神戸の高校へ。既に芸能活動を始めていた森山は校則の厳しい学校で唯一金髪などが認められていた。しかし、ガラの悪い先輩や同級生に目をつけられると面倒だということで、毎朝母親にスプレーで黒染めをしてもらっていたとか。また高校時代の時、学生服でいつも溜まっていたのがカレー屋『LUCY』。そしてそして高校時代にハマったのはフラメンコ。大学でスペイン語学科を選んだのは魅了されたフラメンコをより深く知るためだそう。自ずと海外志向が強くなっていった。
文化庁から文化交流使に任命された森山未來は元々海外志向が強い俳優さんで、外国語にも強い関心があった。大学は拓殖大学外国語学部スペイン語学科に通っていたし、一人旅で海外にも行ったりする。日本映画では初となる国際連合(国連)本部でのロケを敢行した2013年の映画『人類資金』。この映画の中で森山は8分間にわたる英語のスピーチを行った。登壇から降壇まで13分、うち8分間にわたる英語のスピーチを、カメラ3台を使った長回しである。このシーンは映画のクライマックスで使われるシーンで圧巻である。また映画で使われたセリフは4カ国語もある。日本語、英語、ロシア語、モン語(タイ・モン族の言語)である。阪本順治監督は森山のことをこう語る。
「未來は自分を追い詰めていくやつですから、英語のスピーチを与えようが、ロシア語のセリフを与えようが、アクションがあろうが、当然のようにやってくれるし体得してくれるであろうと思った。ましてや終わった後に、大変だったというようなことは言わんだろうと」
森山自身も撮影に入る前に、”伝わる演説って何だろう?”とバラク・オバマ、ルーサー・キング牧師、ジョン・F・ケネディの演説を見て研究。「ただでさえスピーチが苦手とされる日本人。だけど、あのシーンはどこかでアジア人としてスピーチができるという意識をちゃんと持っておかなければいけないと感じました。」と語る森山が今回の文化交流使に任命されたのは頷ける。多くの俳優は作品の中で他言語に触れそのスキルを上げていく。森山も元々の興味関心に加え、1年間日本語が使えない環境に身を置き演劇などで全セリフ外国語で演じる。2014年9月に日本に帰国した際、間違いなくハリウッドなどの海外映画に引っ張りだこになるだろう。
今回森山が文化庁に選ばれた文化交流使とは何かを調べてみた。文化庁のHPにはこう書かれている。
「文化庁では,芸術家,文化人等,文化に携わる方々を一定期間「文化交流使」に指名し,世界の人々の日本文化への理解の深化,日本と外国の文化人のネットワークの形成・強化につながる活動を展開していただいています。(中略)平成25年度においては,8名の芸術家,文化人を「海外派遣型文化交流使」に指名し,平成25年度から26年度にかけて,1か月~12か月間,諸外国で日本文化に関する実演,実技指導,講演,デモンストレーション,ワークショップ等を行っていただきます。」
つまり森山未來は日本の文化を海外に伝えるために1年間訪問先で現地の人と演劇の共同作業や一人芝居などをするのだ。ベルギーとイスラエルに滞在する予定でイスラエルでは舞台「100万回生きたねこ」の演出家と演劇の共同制作などを行い、1人芝居などの活動もする。ちなみに、現地では語学力向上のために通訳無しで生活することになる。英語だけにとどまらない語学力がつきそうですね。森山未來のコメントを引用する。
「日本の文化が軽やかに海の向こう側へ飛び越えていけるよう、この島国が海の向こう側からさまざまな文化を受けとめ、取捨できる器量が膨らんでいけるための1つの懸け橋になれるよう精進していきたい」
皆さん、この演劇をご存知でしょうか?元々はオフ・ブロードウェイで上演されたミュージカルと、その映画化作品である。旧東ドイツ生まれの性転換ロック・シンガー、ヘドウィグが、幼い頃に母から聞いたプラトンの「愛の起原」にあるような自分のかたわれ(=愛)を探して全米各地を巡る物語。この作品を『モテキ』の大根仁監督が日本版にリメイクしたのだ。そしてその主役を森山未來が演じた。ロックミュージカルと言われるだけあって、森山は劇中で様々なロックを熱唱する。その音楽の訳詞を手がけたのはミュージシャンのスガシカオ。スガシカオは森山のことをこう語る。
『凄まじかった。あれはミュージカルじゃない。ヘドウィグになりきった森山未來のLIVEパフォーマンスだ。役者のうたうレベルの歌じゃない、あれはロックスターのパフォーマンスだ。』
共演者には「ミドリ」のヴォーカル後藤まりこがおり、森山は「後藤まりこがいる、ぐらいの感じで観れるようなステージになればいい」と語っているが、見た人はあの後藤まりこをも凌駕する森山の狂おしい姿に驚いたという。舞台はやはり好きだと語る森山。演技もそうだがやはり森山未來を見るには彼に体を存分に動かさせなければならないだろう。子供の頃からじっとしていられなかった性格は変わることなく、今でも自分の居場所で輝いている。
上でも書いたが森山はよく一人旅をする。国内外問わず宿がなければ野宿もするそうだ。自分の性格を”ふらふらしている”と答え、言葉通りの行動をする。一人旅をする理由は一人でしか見れないものがあったり、出会いなど一人の方がおもしろいこともあるからと。休日もやはり一人で過ごすことが多いらしく、大人数で騒ぐより一人の方がよいという。現在は結婚していますし、その感覚も少し変わったかと思えば、野宿をしたのはつい1年前だった。しかも数日間。役を私生活に持ち込みやすいと発言しているので、もしかしたらそれも関係があるかもしれない。
また演技に関しての集中力と完成度が素晴らしすぎると度々絶賛される。それもそのはず、役作りは徹底している。例えば、映画『セイジ -陸の魚-』の撮影時、「自転車で一人旅をしている旅人」役を馴染ませるため、奥日光の撮影場所まで3日かけ実際に自転車で来たというエピソードがある。また、映画『苦役列車』の撮影にあたり、役作りもあり3畳一間風呂なし共同トイレの宿に一人で住まい、コップ酒と本にのみ縋る生活を送ったり。舞台『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』では、歌いっぱなしのミュージカル作品ということで、喉に良い聞いた生肉(とトマト)だけをひたすら食べ続けたという。そのどれも”面白かった”と表現する。楽しめる能力がある人は人生強いですよね。
ダンスと演技が大好きなので、それをやっています。というシンプルな生き方がとても魅力的。森山は数々の名俳優からも絶賛されまくっている。以下でそれを紹介する。
私生活では意外にも酒好きで愛煙家だという。日本酒好きが高じて、地元兵庫の地酒「龍力」とコラボしたワンカップ酒を作ったこともある。故にタイプの女性は一緒にお酒を飲んでくれる人なのだとか。そして、生まれかわったら、、、ネコになりたいそうです。
TOEIC講師:石崎力也
PS:森山未來はモテキの藤本幸世が好きではない。関西弁でいうところの「もう、かなわんわ」とそういう感じらしい。よって、モテキの撮影期間から宣伝期間の間はプライベートも全て藤本幸世で登場するが、モテキ期間が終わると藤本から離れたくて必ず金髪にしてしまうという。
by 石崎力也
どんな世界でもコネはやはり必要なのでしょうか。特に芸能界は、実力だけで這い上がれる世界では決してないのでしょうか。。。本日紹介する方はモデルタレントとして、そしてセレブタレントとして確固たる地位を気付き上げた女性・マリエさんです。マリエさんは去年7月に留学先のアメリカから帰国し、あらためて芸能活動に復帰しました。しかし、現実はいろいろと厳しい面もあるそうです。帰国後世間を騒がせたのはマリエさんの顔立ちとファッションでしょう。以前の金髪で騒がしいイメージとは真逆の、落ち着いた髪色に薄化粧という海外のデザイナーのような風貌。賛否両論ありますが、そのファッションセンスや化粧テクニックなどはやはりオシャレな女性から大きな支持を得ています。そんなマリエさんの留学生活や英語を習得した方法を今日はみていきましょう。
マリエ(本名:玉木・パスカルマリエ)さんは1987年6月20日生まれの現在26歳です。身長は170cmとそれほど大きいわけではないのですね。さて、マリエさんは父がフランス系カナダ人、母が日本人のハーフです。姉が2人おり、3人姉妹の末っ子として生まれました。父がフランスの自動車用オイル輸入代理店の元社長として『石油王』と呼ばれた人物で、母は元客室乗務員で日本国内でサロンを経営する人物であったため家は相当のお金持ち。タレントとして活動していた時期も「セレドル(セレブアイドル)」という新しいジャンルを生み出しました。モデル業を始めたのは意外にも早く、先にモデルをしていた姉の勧めで小学5年生の頃から子役モデルの仕事を始めました。そしてタレントとしての活動は2005年の『世界バリバリ★バリュー』への出演がキッカケ。そしてこの頃雑誌「ViVi」にも露出を開始し話題になります。毒舌やため口などのキャラで数々の番組に出演。笑っていいとものレギュラーにまでなりました。そして3月11日の震災後に怒ったTwitter事件がキッカケ?で当時9本あったレギュラー番組を全て捨て、世界3大美術大学の一つマンハッタンにあるパーソンズ美術大学に留学。2012年の夏頃帰国し、再びタレント業を再開すると報告しましたが、テレビなどではあまり見かけることがなくなりました。
父がフランス系カナダ人、そして母が日本人のハーフとして生まれたマリエさんはルックスの外国人要素が強く昔から英語に関してはあまりいい思い出がありませんでした。お父さんやお母さんはもちろん、姉二人も留学経験があり、みんな英語がペラペラ。しかし、マリエさんだけは日本で生まれ育ったため高校生まで日本語しか話すことができなかったそうで、学校ではよくそのことでいじめられていたそうです。マリエさんの学生時代の写真がネット上にあったのですが、なんというか、美少年という感じ。さて、そんなマリエさんも昔から姉のように留学はしたいと考えていたため、高校進学を機にアメリカ合衆国シカゴへ単身留学。ホームステイをしていたそうです。そして家では、ホームステイ先の4歳の男の子と一緒に英語を勉強していたそうですよ。
また、マリエさんは自身ブログでファンからの「英語はどうすればうまくなれるの?」という質問に対して、「耳と人と映画の完コピでおぼえた。マリエのとうりにすれば、120パーセントしゃべれるようになる!ただししゃべることonlyだけど!」と回答しています。海外で出会った生の英語を完コピすることの効果が高いことは事実です。会話も自分の知っている表現の引き出しから選んで話しているだけですので、暗記ものと言っても過言ではありません。そういう意味でいろんな表現を暗記(完コピ)していくのはいいことです。また、マリエさんは海外ドラマの日常会話には相当助けられたとおっしゃっています。使える英語、使う英語のみに絞って勉強することは英語学習の基本でもあり一番重要な概念です。
マリエさんは高校時代に留学したことをキッカケに英語の世界に飛び込みました。中学の英語の授業も苦手だったほどですから、通常は海外の語学学校に一度通う事もできたのですが、マリエさんはいきなり向こうのハイスクールに通いました。もちろん最初は何も話せない、わからないで友達は全くできなかったそうです。そんなマリエさんに最初に声をかけてくれたのが、クラスでも男女ともに人気のあるスティーブという男の子。超イケメンでマリエさんもドストライクだったそうです。そしてスティーブが毎日持っていたのがカメラ。マリエさんが「何に使うの?」って聞いたら、「写真が好きで、写真の授業を取っているんだ。面白いから一度遊びに来ない?」って言われ、選択科目の写真を選択することに。僕も全然知らなかったのですが、マリエさんはこの頃から本格的に写真にハマり、学生時代は写真のコンペに出品したりもしたそうです。
最初、写真の授業を取ったときはスティーブに紹介されたからとか、一人でできる作業が多いとか、写真を見せ合えば会話のキッカケになるなど、写真それ自体の魅力ではないところで写真を始めましたがいろいろな作業を通していくなかでだんだんと好きになり、いつの間にか学生コンペに出すまでハマるように。マリエさんは写真についてこう語ります。
「目で見ていた世界と写真になったときの世界が全然違うんですよね。ファインダーから見ていたあの景色がこんなに綺麗な写真になるんだって思ったとき、感動しました。10歳からモデルを始めたのでもともと写真は身近な存在だったんですが、撮ってみたら今まで見ていた写真とは全然違うものなんだなって思いました。」
写真にハマったマリエさんはアメリカの高校時代の大半の時間を写真にかけ過ごしました。最初にハマったのはモノクロ写真。色がない世界を映し出すため、写真そのものの質、そして良いところ悪いところが鮮明に映し出されるそうです。そして撮る写真は全て自分と何らかの関係があるもの。パッと見て綺麗だと思う風景を撮ることはせず、写真の中に自分の思い入れがあるものや風景が入っていないと嫌なのだとか。
「自分が大事にしているものをどう写真で表現できるか、という部分に面白さを感じているんだと思います。」
撮った写真を評価して欲しいのではなく、撮る行為そのものにハマった。そのためマリエさんは写真を撮ること、焼くこと、出来上がった写真を見ることのどこに一番魅力を感じていますか?という問いに「全て」と答えています。どんな写真が撮れるかドキドキする。どんな写真に仕上がったのかドキドキする。写真を見て思い出して感動する。フィーリングで始めて、フィーリングでハマっていく。とてもシンプルで大事なことだと思います。
2011年、マリエさんはセレブタレントとして活動していた為か、東北地方太平洋沖地震に対する義援金を各方面からお願いされ困惑していました。そしてその想いをTwitterで吐露。言葉選びを間違ってしまったマリエさんは結果としてTwitterの発言の炎上が収まらず、逃避行と世間から言われる形でパーソンズ美術大学へ留学しました。当時レギュラー9本という人気絶頂の最中。炎上だけが留学の理由では決してないでしょう。2013年1月に発売された彼女の著書でその辺の真実が語られているそうです。そして、留学中は同業者からのイジメもあったそうです。「あんたの居場所はもうないから帰ってくるな」などその言葉はあまりにもリアルで厳しいもの。モデルタレントはマリエさんが初めてではありませんが、確実にテレビでモデルタレントのポジションを作り上げたのも事実。ローラやトリンドル玲奈が今テレビで活躍できているのも、そういう空気を作ったマリエさんの功績と捉えても差し支えないのではないでしょうか。さて、マリエさんは留学先でアートやファッション、これまで自分がモデルとして関わってきた世界の”作る側”を経験し2012年の帰国後はタレント業を再開しながらも日々海外に出向き、アーティスティックな活動をしている。今後、どのような活動をしていくのか楽しみですね。
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TOEIC講師:石崎力也
by 石崎力也
本日紹介する方は、英語が話せてかっこいいと思う女性有名人No1の関根麻里さんです。彼女の留学体験を主にまとめました。留学先での友達の作り方やコミュニケーション術など。また後半の関根家のエピソードでは関根勤の血を引く麻里のお笑いセンスに度肝を抜かれました。そして想像して2度面白い。性格、容姿、頭の良さとほぼ完璧に育った関根麻里さんの英語ストーリーを、どうぞ。
関根麻里さんは1984年10月22日生まれの現在28歳。父親はご存知お笑いタレントの関根勤さん。趣味は、旅行、お笑いライブ観劇、映画・ミュージカル鑑賞、ダンス、ウォーキング、犬の散歩、スペイン語会話。特技は、英会話、PC操作、ダイビング。タレントになることは幼少期から考えていたらしく、WAHAHA本舗への入団も目指したようですが父や所属事務所の浅井企画からの助言により大学進学を決める。大学はアメリカ合衆国エマーソン大学マーケティングコミュニケーション学部。在学は3年間で、いわゆる飛び級をして首席で卒業している秀才。芸能界の好感度調査では常に上位にランクインするほどの人気である。父の影響か「北斗の拳」の大ファンであり、中学生時代クラス内に北斗の拳を広めたなどの逸話がある。「北斗の拳」に関する知見も相当な物。2009年12月16日、自らの実体験をノウハウ化した書籍「ライルと一緒に英会話」(表参道出版刊)を執筆。その他、iPadやiPhoneアプリなどでも英語教材を出している。
関根麻里さんは幼稚園から高校までインターナショナル・スクールに、そして大学はボストンにあるエマーソン大学に進学しています。インターナショナル・スクールに通い始めたキッカケはお母さんの提案。関根さんのお母さんは英語が堪能で、海外の友人が多く子供も一緒にコミュニケーションできればいいなと考え娘の麻里さんをインターナショナル・スクールに通わせました。お父さんの関根勤さんも、将来子供が英語を話せるようになるのはいいことだと了承。麻里さんは幼稚園に入園した時、まだまだ日本語も未熟だったため特別英語を身に付けるのが億劫だったわけではなかったそうです。新しい日本語と英語を同時に勉強しただけ、と本人はおっしゃいます。
そんな関根麻里さんがこれまでに行った習い事の数、なんと9つ。空手(正道会館)/2年間、ピアノ/10年間、書道/8年間、コーラス/8年間、ジャズダンス/8年間、陶芸/8年間、テニス/6年間、器械体操/5年間、新体操/4年間。持っている資格は、車の免許とスキューバダイビングの免許(PADI)。そして一番驚いたのは、関根麻里さんが英語以外にもスペイン語も堪能だということ。2007年にはNHKの番組『スペイン語会話』に生徒約としてレギュラー出演しています。
関根麻里さんは高校卒業後、ボストンにあるエマーソンカレッジのマーケティングコミュニケーション学部に進学しました。進学理由としては、まずインターナショナル・スクールの卒業時期と日本の大学の入学時期にズレがあったから。そしてもう一つの理由は、日本の大学に進学するには大検が必要だったこと。麻里さんは大検を受験しておらず、大検なしで入学できる大学を調べたところ3つしかなかったために、選択肢を広く持つ為に海外の進学先も視野に入れて行動したそうです。もちろん、海外の大学に進学するために必要なSATやTOEFLは受験しました。他には課題となる論文や、先生の推薦書などが必要になったそうです。そして麻里さんは進学の意欲を見せるために普通の提出日より早く書類を提出する「アーリーアクション」という方法を選択。高校に進学カウンセラーなどは設置されていたようですが、向こう側の大学とのヤリトリなど細かい部分は全て自分で行ったそうです。そして麻里さんがマーケティングコミュニケーション学部に進学した理由ですが、マーケティングというより、コミュニーション学に興味があったから。実生活で使える内容であり、コミュニーションの重要性は芸能界で働いている父の姿を見て感じるものがあったのかもしれません。
留学を希望している人が抱く不安の一つに、異国で友達ができるだろうか?というものがあると思います。でも、心配することなかれ。海外の学生は日本の学生に比べてオープンですので。自分が積極的でいられれば問題はありません。さて、では関根麻里さんはどのようにして交友関係を広げて行ったのでしょうか?
まず自分が積極的になること。そう語る、麻里さん。学校のイベントや知らない人が行うパーティなどには必ず参加していたそうです。やはり、最初はみんな初対面ですのでそういう場で軽く会話するところから入っていけば気も楽だとおっしゃっています。なにより、そこで友達になった人の友人を紹介されたり、次のパーティに招待されたりと一度動き出せばあとは広がるのみ。最初の積極性が肝心だそうです。そして麻里さんは、2年まで寮生活。3年時の1年間はルームシェアをしていたそうです。そして寮ではなるべく自炊。日本料理は海外の人にウケがよく、カレーや水餃子を作ればいろんな人が集まってきてパーティになるのだとか。これも友達作りの秘訣ですね。さて、海外でできた友人ですが、麻里さんは未だに連絡を取り合っている人のほとんどは1年時に仲良くなった方ばかりだといいます。最初お互い何も知らない状態で会話して仲良くなった人たちは感覚的に合うものがあったのかもしれませんね。
大学を飛び級し3年間で、しかも首席で卒業した関根麻里さん。なんと、自分が首席だということを知ったのは卒業式の2日前だったそうです。卒業式の2日前にメールが来て、「明日、式があるので出てください」という簡単なメールだったので、何のことかよくわからず、時間があるから行こうかなと言うくらいのノリで行ったら首席の生徒の授賞式があったと。そんな麻里さんが行っていた勉強はとても実践的なもの。卒業が近くなると授業も専門的になっていき、一般企業やNGO、NPOなどから実際に依頼が来て、マーケティングチームで実際に通用するようなリビングプロジェクトを行ったのだとか。プレゼンもあり、良いものは採用される。日本のビジコンにはないリアリティが海外の大学にはありますね。そんな麻里さんは、やはりチームで物事を進めて行く際に意識したコミュニーションの部分が大学を卒業しても役に立っているといいます。異文化の人たちと一緒にチームを組み、一つの目標に向かって進む。これほど難しいことはなかったと。このような経験をされた麻里さんからすれば、芸能界での異業種・異世代交流はなんてことはないでしょう。ちなみに関根麻里さん、留学中の夏休みを利用して一度日本のマーケティング会社にインターンシップで働きにいったことがあるそうです。マーケティング業務以外にも、通訳や翻訳、リサーチから経理までやらせてもらったとか。
関根麻里さんのように母国語以外の言語を流暢に話せる人が気をつけていることとして、「1文1語」“One Sentence One Language”というものがあります。要は、バイリンガル同士が話をする時、日本語と英語を混ぜて話すというもの。「てにおは」は日本語で単語だけ英語になったりとか。バイリンガルの人は日本語と英語を混ぜて話す方が話しやすいそうですね。そんな関根麻里さんが好きな英語のフレーズは「Thank you」。これは麻里さんの海外での体験に理由がありました。日本には謙遜という文化があります。褒められても「いえいえ」とか「そんなことないですよ」とか。留学してすぐ、海外で「かわいいね」と言われた麻里さんは日本のノリで「いやいや」と謙遜したそうです。すると友人はかなりマジメに「なんで否定するの?」と。そうです、アメリカには謙遜という文化がないので、逆に言えば褒めるのも本音がほとんど。それを知ったはいいが、受け答えに困った麻里さんは友人にどうすればいいか聞くと「Thank you でいいじゃん!」と。素直に褒められたら、ありがとうと言う。ゆえに、麻里さんの好きな英語のフレーズは「Thank you」なんだそうです。この感覚大事ですね。褒めた人の大半は相手に喜んでもらおうと思って言っているわけですから、素直に「ありがとう」と返すのが日本でも正しいコミュニーションなのかもしれません。謙遜すべき場面は大体その時の空気や関係性でわかりますからね。
父である関根勤と共演する番組であろうと、父の車に同乗することは許されず麻里自身は電車で現場まで向かう。これは「たとえ親子であっても、芸能界では先輩と後輩に当たるのだから、分別はしっかりしなければならない」という父からの指示に基づく約束事である。
麻里が幼少の頃、父の勤と風呂場でやっていた遊びに「ケツケツダンス」「フライング裸」「風呂場で寒がるオヤジ」「ヘリコプターだよ~ん」「えぐろう!肛門」というものがある。そんな仲の良い関根親子だが、麻里の一番のエピソードと言えばこれである。風呂あがりで全裸の父に突然、麻里が「パッチン(=関根勤のあだ名)の肛門を検査する!」と言い出した(この親子特有の遊びの一環である)。 躊躇無く父の左右の尻肉を開いたところ、尻部分の陰毛が邪魔をしてうかがい知ることができなかった。その時に放った「うわっ!びっくりした!ガードマンがいた!」という麻里の一言は、麻里のお笑いのセンスや奔放な性格を表すエピソードとして有名である。
関根麻里さんの恋愛事情でちょっと前に話題になりましたね。韓国人歌手のKさん。父親の勤さんも公認なようで現在はどうなのでしょうか?さて、麻里さんなのですが、学生時代は好きになる人好きになる人みんなが”ゲイ”だったそうです。そしてアメリカ留学時代には俗に欧米圏のオタクと言われる”ナード”に大変モテたそう。人当たりの良さでしょうか。そんな関根麻里さん、調べればいくつかの英語参考書を出版しておりましたので最後にそれを紹介して終わります。
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TOEIC講師:石崎力也
PS1:関根勤さん曰く、子育ては関わったぶんだけ結果が出るそうです。子供の前では常に妻を立てるのも肝心。また子供が一人で悩み込まないために「何があっても味方だ」と真剣に伝えることも大事だと。そして父親として何ができるかを生まれる前から考え、本もずいぶん読んだそうです。そしてこの言葉「まず決めたのは、『生きていることは面白いんだ、すばらしいんだ』ということをたたき込むこと。だから、とにかく娘を笑わせました。」
by 石崎力也
年をとっても容姿が変わらない、またはさらに美人になっていく。いったいどうすればその美を保てるのか?本日紹介する方は、日本一の美女と言われて数十年。女優の加藤あいさんです。加藤あいさんはこれまで60本以上のドラマに出演しており、毎年何かしらのドラマで顔を見ることができるくらい衰えない人気とその美貌でネットの中では度々話題になります。あの2chでも加藤あいが劣化したなどとスレが立てば、そのスレを立てた人が叩かれるくらいで、これまでスキャンダルもほぼ無くそのクリーンなイメージが多くの企業から評価されています。今回取り上げたのは他でもない、加藤さんが英語を嗜んでいるという情報を得たからです。英語ができて美人。正直、写真だけの記事でもよかったのですが、、、。ということで、見て行きましょう。
加藤あい(本名:加藤愛)さんは1982年12月12日生まれの現在30歳。愛知県出身、身長161cm、体重42.5~48kg。芸能界に入ったのは13歳の時。友人が歌手を目指していて、その友人に誘われ一緒にオーディションを受けたことがキッカケでした。デビューと当初は雑誌『ピチレモン』でジュニアモデルとして活躍しました。その後、14歳の時に女優デビュー。木村拓哉さん主演のドラマ「ギフト」ですね。そしてこの時をキッカケに母親と共に上京してきました。そして高校は堀越高等学校に進学。高校の同級生に、深田恭子さんや仲根かすみさんがいらっしゃいます。深田恭子さんとはかなり仲が良いそうで、芸能界に入ってからもいくつか共演しています。高校時代から今まで低迷期というものがなく(少なくとも世間ではそう見える)、常に何らかの作品に登場しているほど安定した人気を誇っています。そんな加藤さんも今年の最初に雑誌でセミヌードを披露して話題になりました。30歳を向かえる1日前に撮影が行われたそう。最近ではドラマ「海の上の診療所」で第一話のゲストとして出演しています。
加藤さんの初恋の相手は?
「小学校2年生でスポーツが得意な人でした」
学生時代にしていた部活動は?
「剣道部です」
そんな子供の頃を一言で言うと?
「地味」
ということで、加藤あいさんは学生時代からかなりの勉強家として学校でも有名だったそうです。そんな加藤さんの子供の頃の夢はキャビンアテンダントか弁護士だったそうで、仕事が落ち着いたら法科大学院を目指して勉強しているかもしれないとインタビューで語るほど法律に興味があるそうです。海外への憧れも学生時代にできたそうで、大学は国際関係学部に入学しています。卒論のテーマは、「国際法上のテロリストについて」。法学部出身の僕からすればとても興味深い話でした。
加藤さんは高校時代からドラマなどに出演して活躍していたにも関わらず、大学には現役で合格していますし、しっかりと4年間で卒業しています。加藤さんの通っていた亜細亜大学国際関係学部は卒業までに留学を義務づけられておりますので、加藤さんも留学経験があります。ハワイ大学への短期の語学留学。20歳の時ですね。留学は昔からの夢だったそうで、向こうでは本気で英語を学んできたそうです。その証拠に過去に海外の女優に英語でインタビューをしたり、英会話塾のCMなどでその英語を披露しています。海外旅行も大好きなようで、暇を見つけては友人と旅行に出かけるという情報もありました。また、Gyaoで配信された連続ドラマ「マンハッタンダイアリーズ」の撮影では、およそ10ヶ月にわたってニューヨークへ滞在していた過去もありますので、英語は堪能であるといえます。
加藤さんの海外留学中にこんなエピソードがありました。ある日加藤さんは市内で最終バスを逃してしまい、仕方なく友人のタクシー運転手ビリーを呼ぶことにしました。ビリーを待っていると、別のタクシー運転手から「ビリーから頼まれて来た!」と声をかけられ、何の疑問も持たずに車内へ。するとそのタイミングでビリーから電話が。その時初めてその運転手がビリーも知らない怪しい人だと判明。運転手から「前の座席に乗ってくれ」と言われて、降りたのをきっかけに一目散にその場を離れて事無きを得たそうです。ビリーからの連絡がなければと思うと怖いですね。みなさんも海外に行った際には、日本以上に知らない人には付いて行かないようにしましょう。
加藤さん曰く、「体作りは自分と向き合う、自分との戦い。自分次第でどうにでもなるもの。」だと。厳しい言葉でしょうが、結果を出している人間の言葉は説得力があります。でも水はホントにオススメですよ。美容を意識してというわけではないですが、僕も毎日4ℓほどの水を飲みますが、肌年齢は未だ10代レベル。ここ数年健康を害した記憶もありませんので、水をあまり飲まない人は是非今日から2ℓペット1本は毎日空けましょう。
加藤あいさんは肩こりが結構ひどいらしく、ピラティスやジムに通って運動をホントによくしているそうです。また、夜遅くまで起きているのが苦手で基本的に飲み会などはあまり参加しないそうです。そのため生活はとても規則的で、朝も8時には必ず目が覚めてしまうそう。そんな加藤さんも過去に泥酔エピソードがありました。友人と一緒にいった温泉旅行でハメを外しお酒を飲み過ぎてしまった。泥酔状態でお風呂に入ろうと脱衣所で全部脱いだ時に一気に眠気がきて、脱衣所のベンチで裸のまま寝てしまったそうです。結局後から来た友人に起こされ何もなかったそうですが、友人もビックリでしょうね。さて、加藤あいさんのインタビューなどいろいろ見てきましたが、基本的にマジメでぶっとんだエピソードがあまりない!(笑)まあだからこそ生まれるそのクリーンなイメージでCMのオファーなどがひっきりなしにくるのでしょうが・・・。まだまだ結婚報告は先になりそうですね。
TOEIC講師:石崎力也
by 石崎力也
From Aki
インターネットとかでアカデミーを選ぶときに何が大事か?ってことですが、僕はそういったサイトは少なからず少しはおおげさに学校を売っていると思うことをお勧めします。でもそれって普通ですよね、そんな本音で悪い部分とか書くサイト見たことないですし。
僕は偶然にもエージェンシーの方とドミトリーであって僕の本音を伝えました。僕「部屋とかの写真が少し現実と違う気がするんですけど」彼女「すいません、でも仕方ないんですよ。これ見てください」
僕は今さっき撮られたばかりの写真を見せてもらったのですが、どうしても綺麗に見えるんですよ。彼女は特に技術があるわけでもなかったですが、僕の目の前で撮った写真も綺麗に写っていました。なのでサイトの写真ほど建物は綺麗ではありません。
エージェンシーに尋ねてもサイトを見ても悪いところはどこも見つからない!!一番いい方法はこのインターネット社会を通してFace BookやTwitterで行ったことある人に聞くのが一番いい方法だと思います。(僕はどっちにも参加していないのでそういった機能があるのかわかりませんが多分ありますよね)
上辺だけではなく本音を言ってくれる人なら本当の現地の情報がつかめますし嘘はありません。
by 石崎力也
From Aki
そもそも英語専攻の学部に在籍していたので英語には昔から興味はあったのですが、ただ単に興味があっただけで「できたらかっこいいんだろうなとか、いつかは話せたらいいな」ぐらいにしか思ってませんでした。しかし三年生の後期に入りある先生と出会いました。そして今では僕が尊敬している人の一人、武村朝吉先生です。この出会いがきっかけで留学を、英語を勉強したいと強く思いました。
とは言っても考えが急だったので資金もなく特に家が裕福というわけでもないので僕の友達がやってきたようなホームステイをしながらアメリカの学校に一年間通うなんて考えはすぐに却下しました、というか不可能でした。それからインターネットや国際交流センター(留学を手助けしてくれる僕の学校の機関)で情報を調べていたらフィリピン留学のパンフレットを見つけました。僕の資金や留学期間など条件を照らし合わせていくと僕が今できるベストな留学方法はこの方法だと確信しました、working holidayも考えていたのですが、回りがあまり進めなかったので行いませんでした。
料金の安さには助けられました。他の国と比べたらわかるのですが圧倒的に安い。もちろんフィリピンのどこに行くかで多少の差異はありますがそれでも安い。これが一番の決め手になりました。
by 石崎力也
From Aki
日本人はフィリピンに対してとても強いプレジュディスがあると思います。しかしそれは仕方ないことだと思います。日本のマスメディアはどれだけフィリピンが貧乏で可哀そうな国か、というのを前面に押し出して報道しているので。
僕が住んでいるQuezon Cityはとても大きなCityでメトロマニラの中でも大きなほうだと思います。なので様々な地域があります、皆さんが想像しているような地域ももちろんありますし那覇市内のような賑やかで活気に満ちたビルが立ち並ぶデパートメントもあります。
僕が皆さんに思って欲しい事はフィリピンは僕たちが思っているほどとても治安が悪いわけではないという事と、同時にこの言葉よりは危ない場所だという事です。例を挙げると夜に一人でタクシーに乗るのは先生たちにとても強く止められます。
韓国人が一人でタクシーに乗ってしかもその時酔っぱらっていたらしく眠ってしまったそうです、起きたらドライバーに脅されてお金を渡さざるをえない状況にいたそうです。もちろん一人で夜出歩くことも危ないとされていますが、こういった危ない状況を避ければニュースで目にするようなことは起こりませんし、避けるのはそう難しい事ではありません。日本にいる時より緊張感を持って行動しないといけないのは事実だと思います。
by 石崎力也
From Yuki
結局留学したからといって
なにかが劇的に変わる訳ではなかった。
結局自分しか自分を変えることはできなかった。
環境に頼っているようでは、いつまでたっても2流のままでした。
どうしても、ああなりたいって想い。
気づいたら芽生えていた。
まだまだ半人前だけど、僕ははやく追いつきたい、追い越たいと思える像がある。
僕の話になってしまいますが
アメリカに来て、最高の環境がありました。
正直、勢いでアメリカに来てしまった。
でも逆に言えば、勢いだけでも
その想いさえあれば、勉強できたし、
そこまで結びつける事ができた。
しかしせっかく機会があっても
それを活かすも殺すも貴方次第。
ニュートンがリンゴが落ちるのを見て
重力の存在に気づいたように
あなたのすぐ側に大事なものがあるかもしれません。
今の時代、日本にいても
今までに紹介した《iTunes U》や《TED》を使って
勉強できるはず。
日本でも学べる、けど・・・
別にアメリカに来なくても、どこでも勉強できます。
でも僕は敢えて言いたいと思います。
若者よ日本を出よ!!!
ワクワクドキドキする世界がそこにはまっているから。
あなたの予想もしない経験、
たくさんの失敗と成功
新しい価値観
きっとあなたの心を踊らせる環境がここにあるからね。
Good Luck!
IKEO
by 石崎力也
From Kaz
留学へ行く前に目を通しておくべき2冊
連載最後です。
今日は、最後にみなさんに留学へ行く前に、必ず目を通しておいて欲しい2冊をご紹介致します。
1冊目
「この国を出よ。」
世界で戦う大前氏と柳井氏が、日本という国について書いた1冊。
もし、少しでも海外に行きたいという意欲があるならば、この1冊は、最高の起爆剤になるはずです。
僕は、この本を地元の図書館で読んだのですが、
本当に世界に出なければ、ならないんだな
ということに改めて気付かされました。
そして、留学を決める1冊になりました。
次、2冊目
「君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか?」です。
田村耕太郎氏の1冊です。
今、留学に関する具体的な情報(留学場所、MBA、奨学金等)を知ることができます。
留学希望者には、本当に必読の1冊と言えるでしょう。
今、留学している人も、これから留学している人にとっても非常に価値ある1冊になっていると思います。
最後に僕からメッセージ
留学がどうなるかは、本当にあなた次第です。
僕は、1人の日本人として多くの人を見てきましたが、
「日本に帰りたい」という人もいれば、
「日本に帰りたくない」という人もいます。
あなたは、半年、1年の留学を終えた時、どちらになっていたいですか?
もちろん「日本に帰りたくない」って思えるくらい楽しい留学にしたいですよね。
そのために、決して他の人の基準で生きるのではなく、自分の世界で生きてください。
ある人にとっては、死ぬほどクラブやパーティーに行くことが重要かもしれません。
ある人にとっては、アメリカという場所に住む場所を変えるだけで満足できるかもしれません。
一方僕のように、ただ言語が英語になっただけであとは、何も変わらないと思う人がいるかもしれません。
自分が楽しいと思える世界を探してください。
せっかくの留学です。あなたのしたいようにできます。
最後に、僕が座右の銘とする言葉を2つ。
THE GREATEST RISK IS STANDING STILL.
(立ち止まっていることが1番のリスク)
BLOOM WHERE GOD HAS PLANTED YOU
(置かれた場所に咲きなさい。)