結婚間近と囁かれているテニスの王子様・錦織圭のスランプを救った”ある言葉”とは?〜錦織圭の英語力(リスニング力)の高さは異常?〜

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松岡修造を超えたテニスの王子様・錦織圭

昨日は熱い熱い松岡修造さんの記事を書きましたが、本日はその教え子である錦織圭選手を取り上げてみたいと思います。改めて実感しましたが、世界でこれだけ活躍する選手の努力量は尋常ではない。その過酷さからメンタルもどんだけ強いんだってくらい強い。錦織選手はとても内気で大人しい振る舞いをするので、いつも冷静にテニスを行っているかと思えばそんなことは決してありませんね。表に出さないだけで、試合になるとホントに目つきが変わる。今回も錦織さんの熱さを記事で感じて頂いて、英語学習のモチベーションに活かしてもらえればと思います。

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錦織圭のプロフィール

錦織圭選手は1989年12月29日生まれの現在23歳。島根県松江市出身で身長は178cmとプロの世界では小柄。体重74kgの右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPランキング自己最高位はシングルス11位、ダブルス167位。松岡修造さんからは、自分とは比べることができないくらいの天才と言われています。5歳でテニスを始め、修造チャレンジ、IMGアカデミーへの留学、そして現在はユニクロを始め数々のスポンサーと契約し着実に世界一位へとひた走っています。最近の偉業で言えば、かつてぐうの音もでないほどの完敗を記した世界ランク2位のロジャー・フェデラー氏を倒したことでしょう。本気で日本人がテニスの世界で世界一になるのではという期待が、世界中から寄せられています。さて、錦織選手を支えるコーチは全部で14名。技術面を見るテクニカルコーチが4名。その他、フィジカル、メンタル、ドクター、メディア対応、ヨガ、生活指導が一人ずつ付き、4名の代理人がいます。錦織選手はシャラポワ選手やアガシ選手を育てた支援体制とほとんど同じ体制で練習を行っており、コーチ達がそこまで力を入れるのはやはり錦織選手が本当の天才だからだとヘッドコーチは語ります。テニス以外のエピソードとしては、錦織選手は小学校1年生から6年生まで本格的にサッカーをやっていたそうです。サッカーは未だに好きで、テニスボールでよくリフティングをしているそうです。また、母方筋の親戚に俳優の渡哲也・渡瀬恒彦兄弟がいます。好きな女性のタイプはタレントで言うと夏帆。

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錦織圭と相田みつお

錦織圭選手がテニスと出会ったのは5歳の時。父親の買ってくれたラケットがキッカケでした。以来彼は、その内気な性格とは裏腹に強気なプレーで国内三大ジュニア大会を制覇する程に成長。小学校の時の卒業文集には「日本一 次はその上 世界一」と書かれています。その後、錦織圭選手はあの松岡修造さんが主催する「修造チャレンジ」に参加し、世界の厳しさを痛感することになりました。そんな錦織選手が辛い時いつも心の支えにしているのが相田みつお氏の言葉。

「一生燃焼、と相田みつおさんの字で書かれていて、凄い深い意味が込められてて、感動しました。」

一生燃焼。生涯にわたり己の闘志を燃やし続け、一つのことに熱中するという言葉。実際、錦織選手は相田みつお氏の言葉をまねて、自分で詩を書くほどに感銘を受けたそうです。そしてこの時、生涯を賭けて燃焼させるものをテニスと決めたのだといいます。

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松岡修造と錦織圭

小・中学生を中心に世界で通用する選手の育成を行う「修造チャレンジ」に参加した錦織圭選手。松岡修造さんと錦織圭選手の関係はそこからはじまりました。錦織圭選手の才能はこの時既に現れていました。当時小学6年生だった錦織圭選手は6歳年上の高校1年生の選手と勝負し、なんと勝利してしまったのです。そんな錦織圭選手のその時の様子を松岡修造さんはこう語りました。

「この僕と、11歳の時にプレーして負けるわけですよ。で、負けたら僕のところに走ってきて、泣きながら「修造さんもう一回やらしてください」って言うヤツだったんですね。この負けず嫌い度は凄いなって。あんまり表には出さないけど、もう僕もね、どんなことをしてでも助けてやりたいなって。そういう気持ちにさせる選手なんですね。」

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13歳、単身渡米でテニス漬けの日々

錦織選手は13歳で両親の心配をよそに単身渡米。あのマリア・シャラポワ選手など世界の名だたるテニスプレイヤーが育てられたIMGアカデミーへの留学です。しかし、ひとりぼっちの夢への挑戦は思いの他厳しいものでした。

「外人の人は背が大きいし、それだけでも威圧されるんですけど、言葉が通じないってのもあるし、そこでイタズラをされたり・・・。訳も分からなく怒られたり・・・。っていうのはありましたね。」

中学2年生の頃ですが、錦織選手のメンタルの強さはこういう環境で鍛えられていきました。両親には迷惑をかけられない。自分で決めたことに弱音は吐けない。年に数回実家で過ごすときも錦織選手は決して辛いそぶりを見せることはなかったそうです。しかし、そんな錦織選手も両親が寝静まるとこみ上げる気持ちが抑えられなかったそうです。その時の様子を錦織選手のお父さんはこう語ります。

「一緒に寝るじゃないですか。するとボソボソと自分の苦労したことを切なく話し始めるんですよ。その時はやっぱり、グッとくるといいますか、、、そういうのはありました。」

1日8時間。自分の体と精神をいじめ抜く日々。そしてアメリカに渡っておよそ3年。2006年6月の全仏オープンジュニア。その努力が身を結びます。ダブルスでの優勝です。この時16歳です。そしてこれは日本人男子初の快挙となりました。

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スランプを乗り切った母の言葉とは

2007年にプロに転向した錦織選手。その席で最初に口にした言葉はこれでした。「一番は親の温かい励まし、です。」と。そして2008年2月。ATPツアー、日本人男子16年ぶりの優勝を果たしました。世界と戦える日本人の出現に日本中、いや、世界中が湧きました。しかし、その後すぐに訪れたスランプ。「次も勝たなくては・・・。」というプレッシャー。その重圧が焦りを生みミスを繰り返してしまうのです。さらに腹筋の肉離れなど、肉体的にも精神的にも追い込まれていました。18歳の少年に負わされた重圧と苦しい現実。錦織選手は初めて両親にその想いをメールでぶちまけました。

「テニスをするのが・・・辛い。」

このメールを受け取ったお母さんは錦織選手にこんな言葉を返しました。その言葉は錦織選手の人生最大のスランプから立ち直るキッカケを与えてくれた言葉でした。

「いつでもラッキーが来る!そう思え。」

実はこの言葉、錦織選手にとってはとても思い出深い言葉でした。錦織選手は書家の相田みつおさんが大好きで、相田みつおさんの詩を小学生時代よく真似して書いていたそうです。それは親にも内緒で自分で書いていて、実はお母さんが送ってくれたこの言葉。小学生の頃、錦織選手が自分に宛てて書いた言葉でした。でも当時は恥ずかしくなって書いてすぐゴミ箱に捨てていました。それをお母さんはそっと拾い、10年近くずっと大切に取っておいてくれたのでした。お母さんからのメールで錦織選手は初心に返ることができたといいます。弛まぬ努力を続けることの大切さ。それは自分が一番良く知っている。だからこれからも黙って努力する。そして2ヶ月後。全米オープンで72年ぶりとなるベスト16入りを果たしました。

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錦織圭の英語力

海外を拠点に生活している錦織選手の英語力は当然素晴らしいものです。ただ、文法に関しては時々謝った使い方がなされる時もあります。13歳(中学2年生)で渡米しておりますので、日本の(やりすぎな?)文法勉強がしっかりとできていなかったからでしょうか。しかし、プロのスポーツ選手にそれほど完璧な英語を求める人は誰もいません。英語はあくまでもツール。錦織選手が生きていく世界で必要な英語力という面で見れば、彼は完璧です。そんな錦織選手の英語力で最も高いのは恐らくリスニングでしょう。彼の英語のインタビューをいくつか見ていただけるとそれがわかると思います。というのも、返事が的確なのです。何を聞かれているかをある程度把握することができるまでは誰でも早いと思います。しかし、的確な答えを出すには相手の言葉を細部まで聞き取り、どのような回答を欲しているのか考えねばなりません。それができているということが、錦織選手のリスニング力の高さの何よりの証拠です。

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錦織圭、結婚?

先週くらいから話題になっている話ですが、錦織圭選手には身の回りのお世話をしてくれる彼女さんがいらっしゃいます。新体操・団体競技の日本代表チーム、“フェアリージャパン”の一員だった坪井保菜美さんですね。お二人の関係が深まったのは2011年に錦織選手が腎臓結石を患った時だと言われています。13歳からほとんど海外食で暮らして来た錦織選手の健康管理を考えて、坪井さんは栄養学を学び、錦織さんのお母さんに家庭の味を教えてもらって日々の食生活を管理しているそうです。テニス界ではすでに公然の交際だそうで、練習などにもいつも一緒にいるそうです。錦織選手は今年の9月下旬に郷里・松江に帰ったらしく、その時坪井さんを連れていったそうです。この時の話から結婚も間近ではないか?と言われるようになったのですね。しかし、松岡修造さん曰くテニスはどこまでも孤独なスポーツ。そういう面から見ても、選手を支えるパートナーの存在は大きなものとなるでしょう。世界一を目指す錦織選手にとって重要なキーパーソンになりそうですね。

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まとめ

2011年11月、東京有明コロシアムで東日本大震災復興支援のチャリティイベントに錦織圭選手と90年代のスーパースター、マイケル・チャン氏による試合が行われました。マイケル・チャンさんは17歳の若さで全仏オープン優勝。チャンさんは錦織選手よりも低い身長ながら、世界ランキング2位まで上り詰めた伝説の選手です。そんなチャンさんの言葉で一つとてもしびれたものがありましたので紹介します。

「ショットの強化以上に大切なこと・・・それは「勝つ方法」を見つけることです」

2011年、錦織選手は世界ランク1位のジョコビッチ選手を倒す偉業を成し遂げ世界を湧かせました。しかし、翌日のフェデラー選手との試合で自身のプレイを完全否定されるほどの完敗だった。錦織選手に足りなかったものはなんだったのか?チャンさんはこう答えました。

「フェデラー戦であなたはひとつ大きなミスを犯しましたね。準決勝後のインタビューであなたはこう言いました。「フェデラーと決勝で大結するなんてワクワクします」と。「彼は偉大な選手で昔から私の憧れの選手なのです」と。あなたの過ちはそこです。なぜなら、フェデラーとの決勝に進んだことであなたはある程度満足していた。コートの外で誰かを尊敬するのは構いません。しかし、コートに入ったら「お前は邪魔な存在なんだ」と言い切る決意が必要なんです。「優勝するのはおまえじゃない!俺だ!」という気持ちでなければ戦う前に負けています。」

錦織選手は毎回偉業を達成した次の試合で大敗をきすることが多いようです。しかしこれはまだまだ伸びしろが十分にあるという証拠。スキルではなく意識一つで結果が変わってしまうのが世界なのかと想像して胸が熱くなりました。今後の錦織選手の活躍に目が離せません。

TOEIC講師:石崎力也

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